回廊の中はこのように五重塔と金堂が並んでいる。
回廊の入口から入るとまずは五重塔が見え、その横に金堂が建っているのを目にする。
金堂は西院伽藍最古の建物で五重塔よりも古い。
現在の回廊の中の堂塔は天智天皇9年(670年)に火事で建物がすべて焼け落ちた後、711年までには再建されたと言われている。
が、金堂は火災前に建立していた可能性があるという説も、近年あるらしい。
火災前の伽藍は若草伽藍と呼ばれ、それは別の場所にあったとされているのだが・・・。
中には聖徳太子のために作られた釈迦三尊像が安置されている。
金堂の見どころのひとつは、軒が深く出ているところ。
寺院建築は中国大陸から伝えられたが大陸にはこのような深い軒はない。
軒が深いのは、雨が多く湿気の多い日本の風土に合わせて日本人が独自に工夫したものという。
軒を深くすると載せる瓦が増え支えるのが難しくなるので、重みを分散させるために垂木や隅木を伸ばし、それを雲肘木で支えている。
飛鳥時代の瓦は重いもので6kgあり、瓦の下に葺き土が敷かれているので、瓦屋根は相当重い。
当時の大工さんにとってはこれまで造ってこなかったものを造る訳で、さぞかし大変なことだったのだと思う。
重い瓦を支えつつもそれを感じさせない、軽い印象を受けるのは、軒が反り返っているから。
微妙な反りが生み出す軽やかさも、金堂や五重塔の見どころの一つといわれる。
日本が大陸から仏教を受け入れるまでに論争が起き蘇我氏と物部氏の争い血が流れたが、
聖徳太子が神道と仏教の両方を大事にしようというやり方を取ったことで、100年くらいで宗教問題が解決した
※『誰も教えてくれない真実の世界史講義 古代編』より
100年も時間がかかったというよりは、宗教問題を100年で解決してしまった、という見方も現在の宗教問題を見るとできると言える。
外国のものをただそのまま受け入れるのではなく、日本に合わせて改善していく、あるいは昔から続いてきたもの、大切にしていたものと調和させていくという、まさに聖徳太子が説いた和の精神がこの深い軒から窺い知ることができると、そんな見方もできるかと思う。
瓦屋根の下には裳階(もこし)という建物を風雨から守る庇(ひさし)状の物があるがこれは後から造り足されたものらしい。
お堂の中の壁画に雨がしみこむのを防ぎまた深い軒の隅を支える支柱として造り足されたたという。
※『宮大工と歩く古寺』より
金堂の装飾上の特徴は、柵の部分の卍くずしと呼ばれる高欄と、その下の人の字の形をした柱を支える割束(わりづか)だ。
また雲の形をした雲斗(くもと)や雲肘木(くもひじき)も特徴。
2階の軒下の柱に巻き付いている龍は創建当初はなく、後の時代に屋根を支えるために取り付けられたものだ。
室町時代に柱を取り付けた際に彫られたとも、江戸時代の修理の際に取り付け外すと屋根が支えられなくなったので、残し彫刻を加えたともいう。
以前は、法隆寺は飛鳥時代を象徴する代表的な飛鳥様式の建物と語られたが、現在は飛鳥時代の建物は多彩だったといわれている。
現存するのが法隆寺だけなので、あたかも飛鳥時代の寺院は法隆寺のような造りだったと思われてきたが、飛鳥寺や四天王寺が発掘されその構造が分かったことで、法隆寺が特異な造りだったことが分かった。
法隆寺の見どころといえば、金堂や五重塔に使われている樹齢千年以上の檜だ。
千年もの間生存競争に勝ち抜いてきた檜は、頑丈で建築材として千年持つという。
法隆寺が地震や台風に耐え現存しているのは、建築技術だけでなく樹齢千年の檜を使っているからでもある。
※『木に学べ』より
金堂や五重塔は樹齢の長い檜を継手(つぎて)のない太い一丁材にし、それを使って中心部分が組み上げられているので、構造的にとても強い。
昭和の大修理が行われるまでは、軒廻りなど部分的に解体され補修されていた箇所はあったが、主要な部分は一度も解体されたことがなく、創建当時そのままの姿だと、読んだ本に書かれていた。
※『奈良の寺―世界遺産を歩く―』より
法隆寺の材料は今でも65%くらいが創建当時のもので、飛鳥時代の木をそのまま使っているとも。
※『宮大工と歩く奈良の古寺』より
古代建築の特徴は大きな木を贅沢に使っている点だ。
古代は木材が豊富で樹齢の長い木がまだ奈良周辺にあった。
が、木材の加工技術は発展途上なので大きな建造物を造ることができず、樹齢の長い木から造れる一丁材の長さは10mが限度で、堂塔の大きさはこれが限界となる。
扉も当時は、木材を鋸で縦に挽くことができなかったから、贅沢に一枚板の大きなものを使っている。
(鋸の登場は室町時代まで待つ)
そんな所に目を向けて観るのも、法隆寺の楽しみ方の一つかと思う。
金堂の中は入れるので参拝するのがお勧め。
入口の扉が木一本で造っている一枚板で、奥の扉や出口も一枚板で、贅沢に巨木が使われている。
中の柱がエンタシスそのもの、上が細くなっている造りで、綺麗な曲線を描いている柱がたくさんある。
御本尊の釈迦三尊僧とその左ある薬師如来像は、日本史の教科書や資料集で見る有名なもの。
銅製で木造とはまた違う、飛鳥時代を感じさせる仏像で大変魅力がある。
※中央に釈迦三尊像が、東には薬師如来像が、西には阿弥陀三尊が安置されている
阿弥陀三尊像は平安時代に盗まれ鎌倉時代に供養された
東西南北を護る四天王像は飛鳥時代に造られた木造の現存最古の像で、直線的な形が印象的。
後の鎌倉時代のような能動的な動きのある像とは違う、独特の雰囲気が感じられ、こちらも一見の価値がある。
参考文献
誰も教えてくれない真実の世界史講義 古代編
『宮大工と歩く古寺』
『木に学べ』
『奈良の寺―世界遺産を歩く―』
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