【奈良県】世界遺産法隆寺の魅力法隆寺ブログ⑤回廊と大講堂

奈良県
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隠れた名所 回廊

法隆寺で一番注目される建物は金堂と五重塔だが、それらを囲む回廊にも見どころがある。
回廊も飛鳥時代に造られたもので、世界最古の木造建築群の一部に認定されている、歴史ある建築物である。

この回廊が意外にも見どころがあり、ゆっくり観ていても飽きないほどの魅力がある。

エンタシス

中門と繋がる部分は飛鳥時代に造られたもので、エンタシスが見られる。
(講堂に繋がる部分は後の時代に造られたものとなる)

柱の下の部分が膨らんでいて、エンタシスというよりは、胴張りという表現の方がしっくりくる。
美しい微妙な曲線から、柔らかさと力強さが感じられる。

これが真っすぐだと、真ん中が凹んで見えてしまうのだそうだ。
『宮大工と歩く奈良の古寺』より

回廊の柱の檜の樹齢は分からないが、おそらく金堂や五重塔と同じくらいの、樹齢の長い立派なものが使われていると思う。

中門の四つ割りの木を使った柱

中門を支える柱は大木を四つに割ったもの。

四つ割の柱は一本の木をそのまま使うよりも、狂いが少なるなるのだそうだ。
芯のある木をそのまま使うとクセが出て、狂いやすいという。
『木に学べ』より

柱の逆目

柱が綺麗に仕上げられているのは、大正時代の改修によるもので、柱に四角い木がはめ込まれているのは、逆目を補修した跡だ。
昔は貫を通して棚を造り、縁日などで商売をしていたことも本に書かれていた。
『木に学べ』より

柱の根継ぎ

地面に接する下の部分は、根継ぎをして修復した跡である(上の写真も)

地面に近い部分は雨に当たり、また湿気がのぼってきて傷むので、新しい木に差し替えている。
以前はコンクリートではなかったので、昔は現在よりも雨や湿気で柱が痛んだ。

立っている状態で根継ぎをするには柱に大きな負荷がかかり、とても修復できないので、解体修理の際に根継ぎが行われた。
昭和9年~昭和60年まで約半世紀にかけて、昭和の大修理が行われた。

少し長い東の回廊

回廊の東側は西側より一間、約1.8m長くなっている。
これは金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられている。

それまでの寺院の伽藍配置は、塔が中央にあったが、法隆寺はその伝統を変え、塔を金堂の横に移すという革新的な伽藍配置をした。
中門の正面から見た時に、塔が広くお堂が狭くならないように、対称的に見えるように東の回廊を長くしてるとされている。
(法隆寺よりも前に造られた四天王寺や飛鳥寺は、塔が中心だった)

回廊はこの辺りまでが飛鳥時代のもので、ここから先は後の時代に造られたものとなる。
元々、回廊は神聖な金堂と五重塔を囲むものだった。
学問の場である講堂は回廊の外にあった。

飛鳥時代に造られたもの

それが平安時代の990年頃に、奈良時代とも言われているが、現在の形になり、東側の鐘楼と西側の経蔵と結ばれた。

後の時代に付け加えられたもの

中央の大講堂に繋がる部分は、室町時代に造られたものと言われている。
※地域観光資源の多言語解説文データベースより

虹梁 飛鳥時代と室町時代の違い

飛鳥時代の回廊と室町時代の回廊は、虹梁と呼ばれる梁の形が違う。
虹梁は人の字の形をした束(つか)の下にある横木のことで、飛鳥時代のものは曲がっていて棟の重みを二本の柱に上手く分散している。

室町時代のものは真っすぐで、太い木材を使っているが、宮大工に言わせれば、柱に負荷がかかってしまっているのだそうだ。
柱の胴張りも見られない。

虹梁とその上の束の間に木がはめ込まれているが、これは取り敢えずで見繕って入れた余分なもので、そういう取り敢えずで作っているものは皿斗にも見られるとのこと。

飛鳥時代の皿斗は柱の直径よりも大きく、斗に架かる重みを柱の上部にうまく分散させているが、室町時代のものは小さく、柱に負荷がかかっている。

組物

組物は朝鮮や中国大陸、台湾では軒を支えるために、家の建築に積極的に用いられたが、日本では使われなかった。

日本では寺院が権力の象徴とされ、組物を使う仏教建築を従来の日本の住居建築と区別し、住居に使うのを禁止したからだ。

格子

格子は飛鳥時代に作られたものは、木材を割ったままの姿で、菱形の形や太さがそれぞれ違うものになっている。

後の時代に修理されたものは鉋(かんな)で真っすぐに直されている。

大講堂

大講堂は平安時代に再建された建物だ。

軒が浅いのは、良質な木材が足りなかったのもあるがが、風土に合わせるよりも美しさを重視した結果と思われる。
寺院建築は、平安、室町と時代が経つにつれて、耐久性よりも見た目を重視するように変化していくからだ。

旅の後で知りもっとじっくり観ておけばよかったと思ったが、大講堂は希少な遺構だ。
奈良の古寺は講堂の遺構がごくわずかしかないのだそうだ。

かつてはどの寺院にも講堂があったが、後になると必要性があまりなくなり再建されることが少なく、講堂の遺構はほとんどないという。
奈良時代のものは唐招提寺の講堂と法隆寺の伝法堂、平安時代のものは法隆寺の講堂だけと読んだ本には書かれていた。
『奈良の寺々 古代建築の見かた』より

感想

回廊の内側も見どころが多かった。
回廊の中は飛鳥時代は神聖な場所で、簡単に入れるような所ではなかった。
権力者か高僧の一部の者しか入れなかった場所だ。
そんな場所に参拝できるのは何とも有難い。

回廊だけでなく金堂と五重塔もそうだが、これほどのものを造るのに大変な苦労があった。
それまで日本になかった建築技術を中国大陸から取り込み、日本の風土に合わせて造り上げた訳で、そこには目に見えない相当の困難や苦労があったに違いない。

そうした古代の寺院建築が現存しており、それを間近で観れるのはとても贅沢だ。
法隆寺の拝観料は訪れた時は1,500円だったが、そのうち2,000円になる。
それでも拝観料は高いとは思わない(他にも大宝蔵院と夢殿を観れるし)。
それだけの魅力と見どころが金堂・五重塔とそれを囲む回廊(中門も)にはある。

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