世界遺産春日大社の魅力①基本情報と簡単な見どころ

奈良県
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春日大社は世界遺産の古都奈良の文化財に登録されている、奈良県で有名な神社。
参道にいる人と共生している鹿と、参道に並ぶ石灯籠や回廊に並ぶ釣灯籠が印象的な神社でも知られている。

今回はそんな春日大社の歴史や見どころを簡単に紹介したい。

所要時間と拝観料

参拝の所要時間:45分
参拝のみなら5分くらい、特別参拝は30分くらい、若宮への参道を歩くならプラス15分で45分くらい。

御本殿までの参道を歩くのを含めて、普通に参拝するなら1時間が目安。
じっくり参拝するなら1時間半、十五社巡りなどをしたり、国宝館に行くならさらに時間を設けておくとよい。

拝観料:特別参拝は700円(参拝だけなら無料)
開門時間:3月~10月は6:30~17:30
     11月~2月は7:00~17:00
     お札・御守り・御朱印等は通年9:00~閉門迄
     御本殿の特別参拝は9:00~16:00

特別参拝は回廊に並ぶ釣灯籠と見れる。
また暗闇にライトアップされた釣灯籠(藤波屋)も見れる。

アクセス

アクセス:JR・近鉄奈良駅から奈良交通バスで春日大社本殿行きへ約11~15分
「春日大社本殿」下車すぐ

または奈良交通バス(市内循環外回り)約9~13分
「春日大社表参道」下車、徒歩約10分 

徒歩は近鉄奈良駅から約25分、JR奈良駅から約40分

春日大社(本殿)から興福寺へは徒歩約20分、東大寺南大門まで約20分
鹿のいる奈良公園を歩くので、体感的には歩くのが苦にはならない。
参道は広く整備されているし、自然が豊かなので、興福寺や東大寺を一緒に参拝するなら徒歩での移動もお勧め。

簡単な春日大社の見どころ

世界遺産 春日大社の見どころは主に3つ。
鹿と灯籠と式年造替

春日大社には、神の使いとされ信仰されてきた鹿と共生する光景があり、戦国武将や町人らにより寄進されてきた数々の石灯籠や釣灯籠が参道や回廊にあり、そして20年に一度、社殿を建て替える式年造替がおこなわれている。

なぜ鹿が神聖で、灯籠が寄進され、式年造替が行われているのか。
その理由を知ると参拝がより充実したものになるので、簡単ではあるが紹介したいと思う。
(詳しくは次回以降の記事に書いています)

創建の由緒

春日大社は奈良時代に平城京を守護するために、原氏により造られた神社。

春日大社は奈良時代の神護景雲2年768年に、平城京を守護するために藤原氏が興福寺の敷地に創建した神社。
その際、東国の鹿島神宮から強力な戦さの神である武甕槌命を勧請して御祭神として祀るが、神さまが白鹿、白い鹿に乗って来られたことから、鹿は神の使いとして神聖視された。

ついでに、鹿島は当時、都のあった奈良からすると文化も技術も後進の遠く離れた東国の地です。
ストレートに言えば後進の田舎の地。
そんな場所から都を守護するために、神さまを勧請して効果があるのか疑問に思えるが、強力な神であれば必ずしも土着でなくてもよく、むしろ遠くから勧請した方が強い力を発揮すると
考えられていたふしがあったらしい。

一之鳥居

寺院の中に神社の神をお招きして神社を造ったことからは、神仏習合が見られる。
興福寺は他より早く、その後、東大寺が宇佐八幡神を勧請し、各地の有力寺院で同様なことが見られるようになる。

一之鳥居の先の参道の左には奈良国立博物館があるが、ここにはかつて、東西二つの五重塔が建っており、その礎石が残っている。

ここにも神仏習合が見られ、神仏習合に基づいて神社に仏教の塔が建立された、代表的な遺構となっている。

永久4年(1116年)に建立され
治承4年(1180年)に平重衡の南都焼討で焼失
再建されるが応永18年(1411年)に雷で焼失し
以降は再建されなかった
興福寺の五重塔と同じ規模で高さ約50mだったとされる

春日大社は神仏習合により興福寺と一体化し、春日興福寺と呼ばれ藤原氏の保護を受け栄え、中世まで大きな力を持った。

都が平城京から長岡京・平安京へと遷都した後も、興福寺の門前は中世、京都に次いで栄えた。

興福寺の僧が強訴をする際は、春日大社の神輿が使われ、室町時代後期まで強訴は続き、鎌倉幕府も室町幕府も大和国には守護を置けず、興福寺は中世の終わりまで大和一国を実行支配した。

戦国時代になるとその力は弱まり、興福寺の衆徒だった筒井順慶が織田信長に降り、江戸時代は徳川の寺社統制の下に入り、明治時代になると神仏分離で興福寺と切り離された。

YouTube

動画でも春日大社の歴史や見どころを紹介しています。
よろしければ是非ご覧ください。

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