世界遺産春日大社の魅力②鹿が神聖な理由と参道に石灯籠が並ぶ理由

奈良県
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神の使いとして大切にされた鹿

春日大社の鹿は神鹿。
春日大社の御祭神、武甕槌命が白鹿に乗って来られたことから、創建以来、鹿は春日大社の神のお供、神の使いとして大切にされてきた。

鹿が神聖視された理由は、毎年落ちては生え替わる大きな角があったからとされている。
角が生えるのは雄だけだが、人間の周りにいる牛などの角のある動物の中で、角が生え替わるのは鹿だけ

そのため鹿は生命力がある生き物として、また大変縁起の良い生き物として神聖視された。

中国では百年生きた鹿を白鹿(はくろく)、五百年生きた鹿を玄鹿(げんろく)、千年生きた鹿を蒼鹿(そうろく)と呼び、瑞兆の霊獣とし、その思想が日本にもたらされた。

銅鐸などに描かれ、動物の骨を焼いて吉兆を占う太占(ふとまに)に雄の鹿の骨が使われたのもそうした理由があり、鹿は古来より日本の祭祀と深い関わりがある生き物だった。
太占:雄鹿の肩甲骨を灼いて入ったヒビの様子から、その年の作物の作況などを占うもので、『古事記』にも登場する古い占い。

近世頃までだろうか、昔は鹿を殺すことは死罪にあたるとされていた。
平安時代より、春日大社の敷地にいる鹿を殺めた者は法で死罪と定められたが、実際に鹿殺しだけで死刑になることは滅多になかったらしい。
僧殺しと鹿殺しが重なった場合に死罪になることがあり、また神社の境内から出ると田畑の作物を荒らす鹿を殺すことは珍しくなかったとのこと。
『宮司が語る御由緒三十話―春日大社のすべて』より

終戦後は食糧難で宮島や鹿島神宮の鹿が狩られ激減し、奈良の鹿が譲られたという。
ただネットで調べてみると、奈良の鹿も終戦後の食糧不足でかなり激減したよう。

それでか、奈良市一円の鹿は昭和32年(1957年)に「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定される。

奈良公園は奈良時代から大半が春日興福寺の境内だったので、鹿が放し飼いにされてきた。
以降現在まで1,200年以上その状態が続いているので、鹿が人を怖がることはほとんどない。

観光客から鹿せんべいをもらえることを期待して、お辞儀を覚えている鹿も多く見受けられる。

実際の鹿の寿命は霊獣ほど長くなく、自然条件下では平均寿命は4歳程度、一般的な寿命は7~8年で、奈良公園のような大切にされている所ではもう少し伸びるよう。

最長寿命は雄で12歳、雌で15歳くらいだが
平均、雄が10~15年、雌が15~20年ともいう

3月頃に抜ける雄の鹿の角も5月中旬になると結構な長さにまで伸びる。

雄の鹿の角は特殊で、角が生える期間は血管が通っているが、8月下旬頃からカルシウムが沈殿し根元から角化し、血管がなくなるのだそう。
例年10月に鹿の角を切る「鹿の角伐り」が行われるが、この頃には血管が通っていないので、痛みがないとのこと。
寛文12年(1672年)に奈良奉行により始められた行事で、現在は3日間行われている。

日本で一番灯籠が多い理由、御本殿に続く参道に石灯籠が並んでいる理由

二ノ鳥居が近づくと石灯籠が目に入る。

春日大社は日本一灯籠が多いといわれ、二千基の石灯籠と一千基の釣灯籠があり、全部で三千基もの灯籠がある。

全国に存在する室町時代の灯籠の六割以上が春日大社にあり、その大半は御本殿から若宮への参道にある。
それ以前の燈籠は全国に数十基しかない。
『宮司が語る御由緒三十話―春日大社のすべて』より

昔は毎晩、三千基の灯籠に火が灯されといい、春日大社は奈良で一番明るい場所だったという。
そのゆらめく明かりは幻想的な世界をつくり聖域とされた。

油が高価で貴重だった時代に毎晩三千基もの灯籠に灯りが燈されたことから、春日興福寺がいかに大きな経済力をもっていたのかが分かる。

平安末期に興福寺は平重衡の焼討に遭ったが、春日大社は境内が広く興福寺の伽藍とは離れていたのもあり、一部兵火を受けたものの、御本殿は被害を免れ、聖域が守られた。

春日大社の石灯籠は、雨乞のために寄進されたものが少なくない。
春日大社の東には御蓋山(みかさやま)があり、春日山とも言われるが、御蓋山は御祭神が降り立った神聖な場所で、古代より狩猟や木の伐採が禁じられてきた。

そのため日本で最も美しく、保存状態の良い原始林の一つとして、春日山の原始林は世界遺産に登録されている。

春日山原始林は春日興福寺と都の水源地で、雨乞の祈祷が行われてきた。
都が京に移った後も京都南部から奈良一帯が雨不足になると、春日大社に参拝して雨乞の祈りがされてきた。

現在も春日山原始林の水が奈良公園に多く流れ、奈良市と春日大社の重要な水源となっている。

※雨乞や石灯籠は御本殿の後の、本殿と若宮の間の御間道の所で説明します

二之鳥居を下った左にはある祓戸(はらえど)神社。
平安中期の寛弘3年(1006年)にはお祀りされていた古社で、春日祭の祓戸の儀はこの御社前で行われる。

御本殿の手前にある階段を上った先には榎本神社が。
明治時代までは、春日大社の参詣者が御本殿に向かう前にまず参拝した神社。
御本殿の回廊からも繋がっている。

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