世界遺産春日大社の魅力③御本殿の御祭神と本殿の中

奈良県
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春日大社の祭神

南門から御本殿に入る。
御本殿は御本社、大宮ともいう。

拝殿

創建は社伝によると神護景雲2年768年だが、その前の奈良時代始めに、平城京鎮護のため武甕槌命を鹿島から御蓋山頂に勧請されたという。

その数十年後の768年に現在の場所に神殿を創建して、香取の経津主命と枚岡(ひらおか)神社に祀る藤原氏の遠祖(えんそ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神の四柱(よはしら)を併せお祀りし、これが春日大社の始まりとされている。
※春日大社HPより
※藤原氏は元々は中臣姓で、中臣家の氏神を現在の現在の大阪府から招いた。

特別参拝の拝観料を納めるとより御本殿の近くで参拝でき、また寄進された数々の釣灯籠や大杉や藤棚を見ることができる。

南門をくぐると左に幣殿・舞殿 (へいでん・ぶでん)がある。
幣殿は天皇陛下のお供え物を一旦納める建物で、舞殿は神楽を奉納する場所。

その前にあるのは林檎の庭。
現在の私たちががイメージする西洋リンゴの木ではなく、和リンゴという、大きさ直径3、4 cmぐらいの熟すと赤くなる、お盆前に収穫されるリンコの木。
昔は仏前に供えられることが多かったらしい。

現在の木は戦後に学生から献木されたもので、初めの木は平安時代後期に高倉天皇が春日大社の神々への贈り物として献上した。

林檎の木の奥には大杉が立っている。
(大杉は記事の下の方に)

南門の先には中門・御廊 (ちゅうもん・おろう)がある。
神仏分離以前は、興福寺の僧が常にお経をあげる場所であり、東大寺の僧がお経をあげることもあり、仏教的作法で儀式が行われていた。
※春日大社HPより

次の記事の直会殿にも共通するが、春日大社では神仏分離以前の風習が守られているのが興味深い。

回廊の釣灯籠

御本殿の前には有名な戦国武将から寄進された釣灯籠がある。
直江兼続や島左近、宇喜多秀家、藤堂高虎が奉納したものがあり、5代目将軍徳川綱吉が奉納したのもある。
春日興福寺が多くの武将に庇護されてきたことが分かる。

中門・御廊 (ちゅうもん・おろう)の右には東回廊があり、ここには寄進された数々の釣灯籠が並ぶ。

綱吉の母 桂昌院が寄進した灯籠も

春日大社の灯籠は、戦国武将や貴族が奉納したものが知られているが、三千基のうちそのほとんどは庶民、その8割が商人を中心とした一般の人によるものといわれている。

家内安全、商売繁盛、武運長久、先祖供養等の願いをこめて寄進されたものが多いが、近隣の村々から雨乞いを願って奉納された灯籠も少なくない。

元禄や享保、さらに古いものでは寛永や寛文の元号が刻まれたものがある。

寛永年間:1624年~1644年
寛文年間:1661年~1673年
元禄年間:1688年~1704年
享保年間:1716年~1736年

参考までに、
元禄年間:1688年~1704年
町人を中心とした生き生きとした活気ある文化が花開いた時代  

寛文年間:1661年~1673年

享保年間:1716年~1736年
景気が悪くなり徳川吉宗が改革を行った時代

寛永年間:1624年~1644年
徳川家光の時代で鎖国令が立て続けに出され
寛永の大飢饉と島原の乱が起きた時代

春日大社は釣灯籠を目の前で見れるのがいい。
数年前に来た時は、回廊の外側に金箔が剝げ落ち、酸化して緑色になっていく釣灯籠が見られ、時の経過が感じられ風情があった。

ちなみに灯籠の寄進の金額は、釣灯籠が200万円から石灯籠が250万円から、という話があるそう。
正確な金額は分からないが、気軽に奉納できるものでないことは確か。

御蓋山浮雲峰遙拝所

東回廊の外側には御蓋山浮雲峰遙拝所 (みかさやまうきぐものみねようはいじょ)がある。
御祭神の武甕槌命が白鹿に乗り天降られた、御蓋山の頂上の浮雲峰の遥拝所。

神聖な御蓋山は禁足地なのでここから祈りが捧げられてきた。
入山禁止。

遥拝所は浮雲峰から春日大社御本殿を通り、平城京大極殿まで続く尾根線上にあり、御蓋山より大極殿へと神様の力が伝わる
大変尊い場所とのこと。
※春日大社HPより
※春日山は御蓋山と花山の総称、もしくはどちらかの通称。

大杉・柏槙

大杉は樹齢千年ともいわれ、鎌倉時代後期に描かれた『春日権現記』に登場する歴史のある木。
根元からイブキ、ビャクシンとも言うが、が西に伸びて直会殿(なおらいでん)の屋根を突き破っている。

大杉の前には住吉明神(和歌の神さま)をお祀りした、岩本神社がある。

かつて御神前で奉仕をする内侍(女性)が控えていた内侍殿 (ないしでん)と、御廊(おろう)を結ぶ渡り階段は斜めに階段が付けられており、柱や棰(たるき)、桁などのほとんど部材が捻じられて建っているので捻廊 (ねじろう)と呼ばれている。

極めて高い技術を要することから、江戸初期に活躍した伝説の大工、左甚五郎の作との説がある。

内侍は宮中より藤原氏の女性が斎女として遣わされていた。

風宮(かぜのみや)神社

風宮(かぜのみや)神社は御本殿を風の害から守りまた外敵を吹き払う、風を司る神さまをお祀りしている。
※ 級長津彦命(しなつひこのみこと)と
級長津姫命(しなつひめのみこと)を御祭神とする

春日大社ではお祓いは、風の神様の御力を頂いて吹き祓うものとされている。

七種寄木 (なないろのやどりぎ) 

風宮(かぜのみや)神社の隣にある七種寄木(なないろのやどりぎ)は、7種類の植物が共生する珍しい木。
風神により種子が集められたといわれ、やどり木であることから、子授けの霊木と崇められている。
※イスノキ、ヤマザクラ、ツバキ、ナンテン、ニワトコ、フジ、カエデの七種

後殿(うしろどの)参拝所

御本殿の斜め後ろには後殿(うしろどの)という門があり、御本殿の御祭神と災難厄除けの霊験あらたかな神々を参拝できるようになっている。

明治維新以来閉ざされていたものが、およそ140年ぶりに開かれている。
より御祭神に近づいてお祈りできる、知る人ぞ知るスポット。

八雷(はちらい)神社(八龍神社)

八雷大神(はちらいおおかみ)、八大龍王ともいう、は御本殿の鬼門を守り雷と黒雲を扱う神さま。

農業の盛んな時代は、京都南部から奈良一帯に日照りが続くと各地で雨乞が行われ、それでも叶わないときには龍神さまに祈ると叶うとされた。

雷を自由に扱うことから、現在は電気に関わる会社からの崇敬も篤い神社。

門戸(出入口)を守る除災の神さまがお祀りされている栗柄(くりから)神社
水徳の神で五穀豊穣、食の安全を守る神さまがお祀りされている海本(かいもと)神社
山岳守護の神であることから
高層マンションで生活したり働く人の
安全を守る御神徳があるようになった杉本神社
石上神宮の御祭神と同神で国土平定に霊験のある神さまをお祀りする佐軍(さぐん)神社
が鎮座している

椿本(つばきもと)神社 

椿本神社は古来魔物(天狗)退散除災の神さまをお祀りしている。
角振神(つのふりのかみ)という、古来魔物、天狗退散除災の神さまをお祀りしている。
椿の木がこの付近にあったことから、御社名になったとも。

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