【本のレビュー】小林照幸『フィラリア』 精神的苦痛を伴う不治の風土病の根絶に立ち向かう医師たちの記録

病気・医学の本
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戦後根絶されたフィラリアという病気は、現在では犬が罹る病気として知られている。
「フィラリア」とネットで検索しても犬の病気としてしか出てこず、かつて人間を苦しめたことは今では過去のものとなっている。
しかし、「象皮病」と検索してみると、衝撃的な画像が沢山出てきて、世界では未だにこの病気で苦しんでいる患者が多くいることを知る。

この病気は蚊によって媒介された寄生虫が人間の体のリンパ管に住み着き、体の一部を肥大化させる病気である。
寄生虫が着くリンパ管の場所によって大きく膨れる箇所が異なるが、主に足、陰嚢、乳房が極度に肥大化する。死に至ることはほとんどないが、発病したら治らない不治の病とされ、死ぬまで差別を受けるという精神的苦痛を伴う病気であった。

平安末期から鎌倉初期の病気を描いた『病草紙』にはフィラリア症の貴族が描かれている。
フィラリアという病気を『病が語る日本史』(酒井シヅ著)を読んだり、『病草紙(やまいのそうし)』(平安末期~鎌倉初期の絵巻物)を見た時に知り、何か詳しく書かれている本はないかと調べたら、小林照幸著の『フィラリア』という本があることを知った。
手に取って読んでみると、中身は物語として書かれていて読みやすく、この病気がどんなものであり、その根絶にどのような努力があったのか知ることができた。

戦後に日本が取り組んだフィラリアの根絶事業は、世界の手本になるものとして賞賛された。
フィラリアを治す薬の開発はアメリカだったが、投薬量を研究し、スパトニンというより効果のある薬を国内で製造し、病気の根絶に向けて取り組んだのは当時の研究者の努力によるところが大きい。
準備期間から終局までの一つ一つの段階が手際よく、そして経過も順調だった。

本を読んで感銘を受けたのが、戦後、深刻な医師不足の状況でそれをやり遂げたというところである。
戦後の沖縄は 深刻な医師不足で、4581人に1人しか医師がいなかったが、アメリカは750人に1人、イギリスは870人に1人、ドイツ、フランス、ソ連は1300人~2500人に一人だった。人口の多い東京でも1300人に1人の割合で医師がいた。
鹿児島でも1800人に1人、島根でも1700人に1人と、本土の田舎よりも沖縄の医師不足は深刻な状況だった。

しかも30歳以下の若手医師が131人のうち、たったの9人で平均年齢が高く、毎年2~3人の医師が過労死するという状況であった。
地元の医師は24時間営業を強いられ、分業がされず治療、予防、薬の調剤、受付、経理、事務、運営、これら一切を医師が行わねばならない状況だった。
そして過労により医師が一人亡くなると、更に多くの患者が治療を受けられなくなった。

1961年までは医者のいない地域もあった。
戦後の1956年(昭和31年)に奄美大島に総合病院が完成し13名の医師を集めたが、過労のあまり本土から来た医師は帰り、1年後には7人となる。
県からの指示で無医村の巡回診療を実施しなければならず、月の半分は地方に行き、医師の減った病院では、朝早くから夜遅くまで外来患者が訪れる。

こうした状況に本土から来た医師は過労に耐えらえず帰ってしまい、院長自ら一般医局員と同様に診察器を持って病棟を駆け回り、宿直までこなし、着任してから平均3時間の睡眠を強いられ、酷い時には休む間もなく26時間にわたって3人の手術したこともあったという。

そして沖縄にはフィラリアよりも優先すべき病気が多く、マラリア、糞線虫症、ハブ咬症などの風土病、赤痢、チフス、ハンセン病が問題視されていた。
結核県といわれるほど結核患者が多い土地でもあり、十二指腸虫も多い。
死亡率の低いフィラリアは後回しにされていた。

今では魅力ある観光地で自然豊かなイメージのある沖縄・奄美であるが、人間が生きるには厳しい自然環境であったことを、この本から知ることができる。

後回しにせざるを得ない病気だったが、患者のその精神的苦痛は決して軽視できるものではなかった。
本の中で、鹿児島のある患者のことが書かれているが、フィラリア症に感染した30代の女性が一人で山小屋に隔離された。
伝染するといわれ、家にいると妹の婚約に差し障るからと、山でひっそりと暮らしたのだ。

以前は夫が食料を持ってきていたが最近ではそれもなくなり、自分で山芋や雑草を採るが段々近場の物はなくなり遠くまで歩かねばならなくなった。
雨が降れば夜でも飛び起きて体を洗い、たまに近くの農家の人が差し入れしたもので命を繋ぐ。
当時はハンセン病とされて隔離病棟に連れていかれた患者もいたらしい。
フィラリア症は人権問題でもあった。

戦後の物資・人員が不足し、風土病が多く生きるのに厳しい土地であった沖縄や奄美で、フィリア症の根絶に取り組み、それを実現した人たちがいたことをこの本は教えてくれる。
以前記事に書いたツツガムシ病や地方病も怖ろしい病気だが、研究者の派遣や研究設備は離島よりも恵まれている。

医療崩壊が起きていた状況からフィリア症が根絶されたのは、ひたむきな医師や研究者の多大な努力があり、行政的な支援があったからである。
撲滅キャンペーンには新聞やテレビ、ラジオなど各マスコミが好意的に報道し、官民一体となりその根絶に協力したことが、本を読むと知ることができる。

平安末期から鎌倉初期の病気を描いた『病草紙』にはフィラリア症の貴族が描かれている

参考文献

小林照幸『フィラリア』TBSブリタニカ(1994)

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酒井シヅ『病が語る日本史』講談社学術文庫(2008)

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