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【北海道7日間の旅1日目】”試される大地”北海道へ(日本一周Ⅱ15日目)

北海道
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イントロ

日本の食と暮らしを支える北海道。
農産物や水産物、畜産物、林産物を生み出すこの土地は、日本最大の食料供給基地であり、豊かな自然と広い国土を抱える特別な場所でもある。

森は水を育み、大地は食を生み、この広さそのものが、日本を支える土台となってきた。

※食の面では、日本の農地面積の約4分の1を北海道が占め、小麦や米、甜菜、乳製品などを安定して供給。
環境・国土の面では、森林と湿原が水資源、生態系、国土環境を支え、広大な土地が物流、エネルギー、防衛面で重要な役割を担う。
北海道は食料・環境・国土の三つの面で日本を支えている。

しかし、北海道のこの豊かさは、最初から備わっていたものではない。
明治時代以降、先人たちの開拓によって築かれてきたものなのだ。

戊辰戦争に敗れ土地を失った藩士たち
北海道を警備しながら鍬を振るった屯田兵たち
水害や不況によって故郷を追われ移住してきた人々
そして囚人やタコ部屋で働かされた土工夫たち

彼らが命を削りこの地を切り拓いてきた。
作物を育てるどころか、人が住むことすら困難な場所だった北海道が、現在の姿に至るまでには、計り知れない苦難と数えきれない犠牲があった。

そんな北海道の歴史に惹かれ電車で旅をした。
今回から何回かにわたって、訪れた町を紹介しながら、明治・大正・昭和の北海道の歴史を紹介したい。

北海道フリーパスの旅

旅をしたのは、2022年4月上旬。
北海道フリーパスを使って7日間の旅をした。

青森からフェリーで函館に行き、函館から札幌、釧路、網走、旭川、赤平、稚内、小樽、函館へと移動し、青森に戻った。

北海道フリーパスは、JR北海道内の在来線の特急・急行列車の自由席が7日間乗り降り放題の、お得な切符。
6回まで特急の普通車の指定席を利用できる。
7日間は連続する日数と条件がありますが、一部期間を除き通年利用できる。
※4/27~5/6、8/10~19、12/28~1/6の期間は利用不可
料金は27,430円。平均すると1日あたり3,900円ちょっと。
※料金は2023年12月時点のもの

北海道を電車で旅するのは、今回が2回目。
過去に一度、電車日本一周をした時に旅をした。
この時の旅が、北海道&東日本パスという、特急に乗れない格安切符での旅だったが、あまりの移動時間の長さにうんざりして、旅を中断してしまった。

その時の失敗があるので、今回は特急列車で北海道を移動することにした。
「特急なら旅が辛いこともないだろう。当時よりも北海道への興味が増しているし、歴史の知識も増えた。だから北海道の旅は楽しいに違いない」

そう思って旅をしたが、甘かった。
電車に乗れば乗るほど疲れ、とにかく辛かった。
そして、北海道は広いと改めて思い、同時に、よくこんな場所を開拓したものだなと、先人たちの偉大さを痛感した。

旅で感じたことはエッセイの記事にしているので、興味のある方はこちらをどうぞ。

準備中

青森港から函館港へ

青森駅から青森港へ。
バスがなく30分ほど歩く。
青森らしい、歩いていて面白くない、疲れを感じる道を歩く。
帰りもこの道を歩いて帰ってくるのかと思うと、早くも憂鬱に。

北海道にはこれまで、飛行機と青函トンネルで上陸している。
なので今回は、いつもと違う体験をしようと思いフェリーを選択した。
運賃が1800円というのも、魅力だった。
(旅をした2022年4月の運賃)

フェリー乗場に着き、乗船手続きを。
津軽海峡フェリーというものもあり、窓口が違う。

運賃を払う前に乗船申込書を書く。
受付の人の対応が素っ気なく、印象が悪い。
後から、フェリーに徒歩で乗る人はあまりいないことを知った。
ほとんどが車両で乗船する。
だから塩対応だったのだろうか。

歩行者がメインの船ではないので、トラックが何台も通り、乗船時は結構気を遣う。

運行時間は4時間。

船内はネットが使えるとのことだったが、Wi-Fiが接続できない。
他の乗客が電話でどうやったら接続できるのか、聞いてたが、断念していたのを見て、自分も使うのを諦めた。

2022年だそ、今は。
こんな場所が未だに日本にあるのか。

仕方なく本を読もうとするも、船酔いしそうで諦める。

外に出ると風が寒く、水しぶきが飛んできて、とても長くいられない。
かと言って船内に戻っても、横になっているだけ。
そんなこんなで、時間を持て余す。

北海道に渡る移住者たち

現代でさえ、これだけ船が揺れるのだから、明治時代はどれほど大変な船旅だったのだろうか。
そんなことが頭に浮かんでくる。

明治時代以降、北海道に渡る多くの移住者が船に乗った。
その代表的な航路のひとつが、この青森港から函館港へ向かうルートだった。

現在ではおよそ4時間で渡れる津軽海峡も、明治時代は半日近い時間をかけて渡った。
暖流と寒流がぶつかる津軽海峡は、潮の流れが複雑で、夏は霧が発生しやすく当時は危険な航路だった。

冷たい風に当たりながら灰色の海を眺めていると、移住者たちがこの海を渡ったとき抱いたであろう、不安や緊張が静かに胸に迫ってくる。

一方で、胸いっぱいに期待と希望を膨らませていた人も、少なくなかったと思われる。

北海道は作物が育ちやすく、畑を耕せば広大な土地が無償で手に入り、働けば必ず報われる新天地
士族も農民も関係なく平等に成功できる、一攫千金の地

そうした移住を勧める言葉を信じ、北海道を目指した人々も、少なからずいたと考えられる。

明治初期は北海道に好き好んで行こうとする者などなく、政府があの手この手で移住を勧めた。
その一つに、上記のような謳い文句があり、それを信じた者が中にはいたという。

現実の厳しさは『北海道開拓の歴史③農村からの団体移住』で紹介している。
実際は、作物の育たない土地で、生きることが困難な場所だった。

時代が下るが、この津軽海峡は、戦時中に悲劇が起きた場所でもある。
北海道と本州とを結ぶ唯一の手段だった青函連絡船は
、アメリカ軍による攻撃を受け十数隻の船が沈没し、乗員乗客400名以上が亡くなった。

昭和20年7月14日・15日、太平洋上の空母から発進したアメリカ軍の艦載機、約2000機が、各々の目標に向かって一斉に攻撃を開始した。
その内の114機の攻撃機が、津軽海峡の青函連絡船を攻撃し、函館湾・青森湾でも船が攻撃を受け、青函連絡船は全滅した。
死者411人(うち乗客52人)、負傷者72人という。

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