世界遺産薬師寺の魅力②東塔と西東のコントラストが素晴らしい薬師寺の魅力

奈良県
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東塔

東塔は薬師寺で唯一、創建当初から残っている建物で、奈良時代前期の養老5年721年に建てられた塔た。
平城京最古の建造物といわれている。
※薬師寺のHPより   
 
東塔は白鳳時代の美意識に基づいて造られている唯一の遺構なので、西塔や金堂を復元する際に参考にされた。
※『俯瞰CG・イラストでよくわかる日本の古寺
日本の建築の歴史 寺院・神社と住宅』より

また平城宮の朱雀門や太極殿(大極殿)(だいごくでん)などの宮殿建築を復元する際の基準にもされている。

東塔は平安時代の貴族の中心的な建物である法成寺のモデルになったともいう。
法成寺は平安時代中期に藤原道長によって創建された、摂関期最大級の寺院で、法成寺が宇治の平等院鳳凰堂のモデルとなったいわれている。
※『日本の建築の歴史 寺院・神社と住宅』より

白鳳時代とは文化史上の時代区分で、7世紀後半から奈良時代はじめの8世紀前半、大化改新から平城京が遷都するまでの時期をさす。
法隆寺で有名な飛鳥文化と、東大寺や唐招提寺で有名な天平文化の中間に位置する文化である。

※大化元年(645年)~和銅3年(710年)
天武天皇・持統天皇の時代
※飛鳥文化→白鳳文化→天平文化

三重塔の見どころは、階と階の間にある裳階(もこし)と呼ばれる飾り屋根だ。
裳階が各層につけられている塔は薬師寺だけである。
法隆寺の五重塔のように初層の前に裳階がある塔はあるが、上の層と層の間にある寺院はない。
※『宮大工と歩く奈良の古寺』より

調べた限りでは中国では少なくとも今はない。
昔あったか分からないが、もしなかったなら裳階は日本で編み出したことになる。

六重塔にも見えるが構造は三重塔で、屋根の大小がおりなすバランスが美しい。
「凍れる音楽」と称されているのはこの美しさに由来するともいわれている。
(あくまで一説で、水煙や法輪の美しさからそう言われているともされている)

法隆寺の五重塔が力強さを特徴とするのに対し、薬師寺の三重塔は力強さに優美さを兼ね備え、法隆寺よりも人気があるともいわれている。

三手先(みてさき)という組み方も薬師寺の見どころだ。
細い木材で立派な堂塔を建てるために編み出された組物で、その後の寺院建築のお手本となった。

薬師寺を造った時は、法隆寺に使われたような大きな木材が奈良周辺で採れなくなった。
薬師寺の柱は法隆寺よりも7割くらい細いといい、
細い木材でいかに立派な堂塔を建てるか工夫がなされ、建物の重さをこのような斗や肘木の組み方で分散している。

三手先により木の不足を技術で補うことに成功したが、同時に木材が小さくなった分、曲線を増やすことができ、より美しさを表現することができるようになった。
詳しいことは分からないが、二軒(ふたのき)というのも同じ時代に発明されたという。
※『木に学べ』『宮大工と歩く奈良の古寺』より

薬師寺の創建以前の法隆寺は、大きな木材で建てたためいかつさがある。
(力強さとも言えるが)

※法隆寺金堂の雲肘木

装飾を凝らして美しさを出しているが限界があり、

それを表しているのが雲肘木で、雲肘木は一枚板でできている。
これは、重さに耐えるために部材も大きくするという、原始的な考えでの構造である。
ただ大きいだけだと美しさに欠けるため、意匠に工夫を凝らしており、軒の反りや屋根の曲線がその表れだが、装飾を凝らしても美しさを出すには限界がある。

三手先にすることで、より美しさを出すことに成功したのが、薬師寺の三重塔と言える。
しかしそれは同時に法隆寺のような大きな木材が手に入らなくなったことを意味している

西塔

西塔は室町時代の享禄元年1528年の兵火で焼失し、昭和56年1981年に再建された塔。

享禄の兵火は興福寺の衆徒、筒井順興(つつい じゅんこう)によるもので、薬師寺は東塔と東院堂を残し全山焼失した。

創建当初の姿で再建され、朱塗りと金色の飾りと白壁と緑色の格子が当時の姿を教えてくれる。
青丹の色は「青丹良し」に由来する奈良の色合いを表している。
 
創建時から残る東塔と戦後に再建された西塔の色の違う二つの塔が並んでいるのが、薬師寺の面白いのがところだ。

日本では奈良の古寺に見られるように、時とともに枯れていく姿をよしとし、修復の際も古い姿をなるべく残すように枯淡(こたん)な色にする寺院が多い。

だが東南アジアや韓国では、改修の度に新しく色を塗り創建当初の姿にする。
極楽浄土は本来きらびやかな場所なのでそうした色彩であるべきという考えからという。

仏教本来の教えに従うと、仏の住む世界は極彩色で仏は金色に輝いているべきで、東南アジアや韓国ではその基本が守られていて、色がはげたらその都度塗り直す。
※『奈良寺あそび、仏像ばなし』岳陽社 吉田さらさ

西塔は仏教の教えに従い厳密に修復をしており、東塔は日本の伝統的な保存のあり方を踏襲していると言うことができる。
二つの塔から、そんな文化財の保存について知れる。

色のコントラストが美しい二つの塔には形の違いもみられる。
東塔は長年の修理で形が変わっており、西塔の方が創建時の姿をより表している。

東塔の壁は修復で連子窓(れんじまど)がなくなっている。
また最上階の屋根の軒は修理で切り詰められ短くなり、下から見上げると屋根と裳階が作り出す曲線が
感じられなくなっている。
※『宮大工と歩く奈良の古寺』、『週間古寺をゆく 薬師寺』より

高さも違い、西塔は東塔よりも高くなっている。
東塔は長年の屋根や柱の重みで塔が沈み、創建時よりも80cmほど基壇が沈んでいる。
西塔も沈むことを前提に高くしており、時が経てば沈み東塔と同じ高さになるように造られている。
※『宮大工と歩く奈良の古寺』より

念のため文化財の保存についてふれておくと、東塔は創建当初から建っていると言っても、当時の素材がそのまま残っている訳ではない。
特に外側の素材は風雨や経年劣化で傷むためので、修理の際に新しいものに取り替えられている。

文化財の保存は日本を含めて木材は形式保存なので、もとの形を保つことで文化財としての価値が認められる。
必要な木材が手に入らなければ、代わりのもので形を保てば文化財として認められる。

これが海外の石の文化財となると、たとえばパルテノン神殿が有名だが、そのままの現状を保持してこそ文化財と認められる。

※『蘇る天平の夢 興福寺中金堂再建まで。25年の歩み』より

初めて東塔を観た時は修理で外観が新しく綺麗なのに、それでも国宝や文化財と言えるのか疑問を感じたが、そうした理由で立派な文化財と言える。

参考文献

俯瞰CG・イラストでよくわかる日本の古寺

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日本の建築の歴史 寺院・神社と住宅

宮大工と歩く奈良の古寺

木に学べ

奈良寺あそび、仏像ばなし

週間古寺をゆく 薬師寺

蘇る天平の夢 興福寺中金堂再建まで。25年の歩み

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