世界遺産薬師寺の魅力 ③金堂

奈良県
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金堂は昭和51年(1976年)に再建されたお堂。
平城遷都に伴い創建され、当時は瑪瑙(めのう)や金できらびやかに荘厳(しょうごん)され、僧侶であっても入ることが許されない特別なお堂だったという。
※薬師堂HPより

享禄元年1528年の兵火により焼失し、その後、仮金堂が建てられたものの、当初の二層の金堂を復興することはできず、戦後に再建された。
※仮金堂は郡山城主増田長盛公により建てられた

豊臣氏が再建する予定だったが滅亡してしまったので果たせず、400年後の昭和51年にようやく再建が叶ったのだ。

慶長年間の大坂の陣で、薬師寺の僧兵3千人が豊臣方に付いたため、江戸時代は徳川の保護を受けられなかった。
※『宮大工と歩く奈良の古寺』より

戦後になり、昭和43年(1968年)に写経勧進が始められ復興する。
お堂の上に納経蔵があり、寄進されたお経はそちらに納められているらしい。
金堂はじめ再建された堂塔は写経勧進の結晶といえる。

金堂は裳階を多用しているのが特徴。
竜宮のような美しさが評判で、特に正面の段違いの裳階が美しく、色合いだけでなく形の美しさが感じられる。
※『週間古寺をゆく 薬師寺』より

金堂の御本尊の薬師如来像は銅で作られている。
かつては金色に輝いていましたが、今では金が剥がれ黒光りし、その姿が時の経過を感じさせ荘厳さを増し、なんともいえない独特の素晴らしさがある。

7世紀後半から8世紀前半の白鳳文化は、清楚で端正な美しさをもった仏像がたくさん造られた。
※『週間古寺をゆく 薬師寺』より

当時はまだ日本から銅が出なかった時代で、中国大陸から銅を運んできたという。
10トンもの銅が必要だったそうで、運ぶのに大変なことだっただろうと思う。
台座も銅でできており、レプリカを東僧坊で近くで観ることができる。
※後の時代に陸奥(みちのく)で銅が出て和銅という年号になった

金堂に参拝する際は、天井に描かれている蓮の花を観るのがお勧め。
白鳳時代独特の模様が描かれているが、これは東塔の天井に残っていた模様を復元したものだ。
※『宮大工と歩く奈良の古寺』より

昔とそっくり同じ顔料を使い、値段がかなり高いのだそうだ。
※『木に学べ』より
 
天井画は講堂で説明しています。

薬師寺では毎日、金堂で祈祷が行われているらしく、参拝した時に参加することができた。
9時半の祈祷に途中で参加しが、般若心経を唱えていて、その後に住職の方のお話を聞くことができた。
そこで聞いたのが、
薬師寺は葬式をしない、檀家もいない、死を扱わないお寺、そういう宗派だということ。
奈良にあるお寺は昔からあるお寺は死を扱わない、
今生きている自分を含めた人たちのための幸せを祈る宗派なのだ、そうした仏教の教えなのだと
そんなことを聞いた。
それだけでも今日は参拝された際は覚えて帰ってください、と言っていて話を聞けてよかった。

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