世界遺産薬師寺の魅力⑥戦後の再建を果たした写経勧進

奈良県
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與樂門の向かいの境内には写経道場がある。
薬師寺の復興事業を担った写経勧進についてもふれておきたいと思う。

寺院の本堂である金堂が雨漏りし、御本尊に陽の光や雨が当たるほど荒廃していた薬師寺が、現在、白鳳伽藍を甦らせるまでに復興したのは、写経による多くの人の寄進があったからだった。

紹介したように、東塔と東院堂を除く堂塔は戦後に再建されたが、その資金は写経勧進により賄われた。

参拝した老若男女が1字1字心を込めて般若心経を写し、写経されたものはすべて再建される金堂に保管・供養され、その納経料・永代供養料として当時の金額で一巻千円納めてもらい、その浄財で金堂を復興した。

百万巻もの写経により金堂が再建されたが、その道のりは遠く、写経を発案した管主自らが全国を行脚し写経を呼びかけたという。
昭和43年1968年に写経が始められ、昭和51年1976年に目標の百万巻を達成した。

薬師寺は檀家を持たないので浄財を集めるのに大変な苦労を伴ったが、企業から寄付金を集めることをせず、また義理や割り当てで集めることを避けたという。

寄進する個人にとっても寺院にとっても、充実感が生まれる方法を採ろうと考えた時に、写経に至ったという。
※『週間古寺をゆく 薬師寺』より

管主だった高田好胤和上は
「物で栄えて心で滅ぶ高度経済成長の時代だからこそ
精神性の伴った伽藍の復興を」
と訴え写経勧進による白鳳伽藍復興を始めたのだった。
※薬師寺HPより

写経は飛鳥時代に薬師寺の創建と深い繋がりのある、天武天皇によって始められたという。
お経を写すことは昔から大きな功徳になるとされていた。

自分が写経した経文(きょうもん)が永代、後世に伝えられることや、自分が寄進したことで堂塔が建てられることに惹かれ、写経勧進をした人も少ないないのではないかと思う。
いいアイデアだ。

そうした写経勧進により薬師寺の白鳳伽藍は再建され、金堂の後に西塔、中門、回廊、大講堂、食堂の
いにしえの大伽藍が甦った。
回廊は再建の途中で、今後講堂と繋がると思われる。

戦後に再建されたこの素晴らしい薬師寺の堂塔は
まさに写経勧進の結晶といえる。
訪れた時は写経についてそれほど知らなかったが、
こうしたことを知ってから薬師寺に訪れるとより参拝が充実すると思う。

薬師寺では写経勧進の他に、修学旅行生に魅力的な法話をし、話題と人気を集めたことも知られている。
恐らく他にも復興のためのいろいろな試みがあり、
伽藍の再建には多くの苦労があったことが想像できる。

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