フェリー下船
フェリーに乗ること4時間、函館港に到着。
車両を先に下ろすから、徒歩の乗客は船で待機とのことで、30分近く待つ。
下船してから、最寄り駅の五稜郭駅まで30分歩く。
この道も寂しく退屈な道。
帰りもここを歩くのかと思うと、早くも1週間後が憂鬱になる。

函館散策
五稜郭駅から一駅だけ電車に乗り、函館駅へ。
函館駅に着き、夕方まで観光地を散策。
駅の近くには有名なラーメン店がある。
普段ラーメンを食べないが、北海道では食べてみることにする。
函館駅から歩いて3分の所にある、大門横丁にある、龍鳳というお店に入ってみた。

人気の黄金塩ラーメンを注文。
鶏の油を熟成させた塩ラーメンとのこと。

函館ラーメンといえば塩ラーメン。

これは華僑(中国からの移住者)が広めたと言われている。

明治時代以降、函館に住んだ華僑は、広東や南京など中国南部の出身が多く、塩で味付けしたスープを好んでいたらしい。
それが広まったので、函館のラーメンは塩味なのだそうだ。

ラーメンを食べた後は、観光地で有名なベイエリアに。

途中、金森赤レンガ倉庫と、その近くに日本最古のコンクリート電柱がある。
大正12年(1923年)に建てられたもの。



金森赤レンガ倉庫は、かつての函館の繁栄を伝える建物。
函館は1920年代以降、北洋漁業の出港地として発展し、昭和初期には人口が20万人を超える、国内で9番目の大都市になった。
1930年頃までは、函館の方が札幌よりも人口が多く栄えていたのだ。
函館港に面する一帯には巨大な倉庫群が建ち並び、その一つが金森赤レンガ倉庫なのだ。
港の近くには焼き鳥弁当で有名なハセガワと、北海道を代表するラッキーピエロが。
焼き鳥弁当と言っても、肉は豚肉。


港に到着。

函館は幕末に長崎・横浜とともに、諸外国との貿易港として開かれた町で、漁業基地として栄えた町でもある。

函館は明治時代、北海道への移住者を迎える玄関口でもあった。


函館に着いた移住者たちは、近隣の村に一時的に滞在し、新たな生活に必需なものを揃え未開の地へと向かった。
荷物を抱え慣れない道を歩いた移住者たちは、これから始まる生活への緊張で胸がいっぱいだったのだろう。


函館と言えば、元町が観光地で知られている。

幕末にペリーにより開かれた函館は、欧米との貿易により西洋文化が流れ込み、国際色豊かな街並みになった。

元町は坂が多く、領事館や教会、外国人住宅が並び、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

函館山の麓に沿って建物が直線的に並ぶのは、火事の被害を抑えるため。
函館は海からの風が強く、水の便が悪かったので、坂を直線にし道幅を広く取ることで、少しでも火災の被害を小さくしようとしたのだ。






メモ
函館に現存する歴史的建造物の大半は、市街地の大半を焼失させた大火(明治11年12年)の後に建てられたもの
函館は1889(明治22)年に国内で2番目の
水道が開設された場所でもある
元町という地名は、横浜の元町にちなんで名づけられたといわれている。
横浜では、外国人居留地の中心地区を元町と呼び、函館は、同じ開港地だった横浜をモデルに街づくりが進められた。
横浜の官僚や役人、商人、建築技術者らが函館に移動し、開港都市 横浜のモデルが函館に取り入れられたのだ。
横浜で生まれた元町という呼び名は、その後、神戸や長崎など他の開港地にも広がり、居留地に隣接する地区を示す名称として定着するようになる。
※元町という地名には、元来、別の意味もある
旧城下町の中心 町の発祥地 本町の古称として名付けられた場所もある
それらは明治以前から使われてきた例
坂を上った先には、夜景が有名な館山展望台が。

その麓には高田屋 嘉兵衛の銅像が。


坂の途中には、護国神社が。

函館戦争で亡くなった明治政府側の戦没者を祀っていている。



すべり止め砂

歩行者用なのだそう。


資料館
函館は徒歩で十分歩いて回れる。
印象的だったのが車の運転が丁寧で、歩きやすかった。
函館ベイエリアのラッキーピエロで、チャイニーズチキンバーガーを。

地産地消を進める、道南の名物チェーン店で知られる知られるラッキーピエロは、創業は昭和62年(1987年)と意外と新しい会社。




甘辛の鶏肉とバンズの相性が良い。


金森赤レンガ倉庫(函館駅から徒歩14分)の近くにあるあじさいで、塩ラーメンを。


あっさりしていながらも、コクがあるらーめん。


函館観光を終え、特急北斗19号に乗り札幌駅へ。
乗船時間は3時間40分。
※17:52(函館駅)発-21:36(札幌駅)着
北海道限定ビールと言えば、サッポロクラシック。

その春限定ビール。

大沼公園

自然豊かな北海道を見ると、かつての移住者たちの苦難が偲ばれる。
明治時代になるまでの北海道は、人が住むことすら難しい未開の原野だった。
鍬を入れても、作物が育つとは限らない土地でもあった。
それでも人々は戻る場所を持たず、この先にあるはずの暮らしを信じて、未開の地を切り拓き、あるいは北へ北へと進んでいった。
21時半過ぎに札幌駅に着き、近くにあるホテルリブマックスに宿泊。

レイトプランで2700円。

この頃はコロナのまん防(まん延防止対策)が空けて数週間の頃。
まだ旅行者が少なく、おかげで安く泊まることができた。



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