平安時代のことを調べていたら古代の人たちがいかに「虫」による病気に苦しめられてきたか知った。
蚊に刺されると高熱が出て命を落とすマラリア、ダニに刺されると高熱で死んでしまうツツガムシ病、住血吸虫に感染すると腹が膨れて死んでしまう地方病、線虫がリンパ管に住み着き足や陰嚢が極度に肥大化するフィリア症、など虫が媒体となったり寄生虫が体に住み着くことで発症する恐ろしい病気が昔は少なくなかった。
これらの病気は、戦後になると治療法が確立され、現在は死に至る割合がかなり減り、患者数も減り、過去のものとなろうとしている。
しかし戦後しばらくの間は、これらとは違った別の虫に多くの人たは苦しめられていた。
それは糞尿で農作物を育てたことによる寄生虫だ。
戦後は食糧難だったため、貧困な土壌でも農作物をより多く育てるために、人糞がそのまま散布された。
便所内で寄生虫の幼虫が育ち、土壌内で卵が孵化し、作物に付着しそれが口から人体に入り、排便されればまた土壌内で孵化し、と繰り返され、寄生虫が蔓延した。
回虫、十二指腸虫、蟯虫、緶虫を主体とした土壌由来の寄生虫類が大流行し、寄生虫が国民病といわれた。
当時の衛生状態は酷いもので、作物の育成を急ぐあまり、人糞を汲み取りをしてそのまま田畑に散布したことが、寄生虫の温床となった。
肥溜めに人糞を入れておくと、日光により高熱を発し、糞の中にいる菌や寄生虫が死滅して発酵する。
発酵による熱は70度にもなるという。
その段階を経て散布すれば問題はなく、肥溜めには先人たちの然るべき知恵があったのたが、戦後はそうしたことがされずに撒かれ、寄生虫が蔓延してしまった。
当時は生肉を食べる人もいたらしく、そうした人も当然寄生虫にかかった。
寄生虫が増え体調が悪くなった患者が虫下しを飲めば口から虫を吐き、激痛に七転八倒している患者を開腹してみると、腸内にびっしりと虫がとぐろを巻いて詰まり、医師が5人がかりで丸一日かけてピンセットで取り除いた、なんてこともあったらしい。
生サバを食べた患者が、アニサキスが胃の壁を突き破って肺の中に入り込み胃潰瘍と肺炎が併発して手遅れになったケースもあったようだ。
戦前には回虫駆除薬としてサントニンというヨモギを原料とする虫下しの薬がソ連から輸入されて使われていたが、戦後はソ連との関係悪化により一切輸入されなくなる。
この薬は回虫には効くが蟯虫には効かず、多量に投与すると眩暈、感覚異常をきたし、視力の低下を起こし副作用があり問題があったが、回虫駆除の面では効果があるということで大目に見られていた。
サントニンを輸入できなくなると、古来から日本で生薬(しょうやく)として用いられてきたマクリという海藻に含まれるカイニン酸が代替品として使われるようになる。
マクリは本州太平洋岸南部、四国、九州、南西諸島に分布していたらしいが、寄生虫が蔓延することで高騰してしまい、沖縄ではマクリが採り尽くされたともいわれている。
簡単に手に入らない地域では、蕎麦の煮汁を飲むという根拠のない民間治療に頼らざるを得ずなかったという。
戦後はそんな時代だった。
複数の寄生虫を持つ患者も珍しくなかった。
日本は朝鮮特需のおかげで景気がよくなり、インフラの整備が進み、農業で化学肥料が導入され、下水道が整備され、水洗便所が普及し衛生的な生活が普及した。
検査や駆虫薬などの対策によっても感染者は非常に少なくなった。
が、それまでは日本人の80%が何らかの寄生虫を宿していると学会で報告されていた時代だった。
現代に生きる自分にとっては寄生虫は関係のないものだが、祖父や祖母が生きていた時代のことだと思うと、他人事には思えない。
参考文献
小林照幸『死の虫』中央公論新社(2016)
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小林照幸『フィラリア』TBSブリタニカ(1994)
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