簡単な唐招提寺の魅力・見どころ
唐招提寺の見どころは奈良時代の遺構が残っているるところ。
平城京が遷都した後は、都から離れていたため戦災を免れることができ、奈良時代より伝わる貴重な仏像と建築が残っている。
そのため世界遺産の古都奈良の文化財に登録されている。
金堂は奈良時代の現存する唯一の遺構として貴重で国宝に指定されている(780年頃の建立とされる)。
講堂は金堂よりも古く、平城宮から移築されたと言われており、天平時代や平城宮の面影をとどめる唯一の建築物。
奈良の古寺では講堂の遺構はごくわずかしかないので、こちらも貴重で国宝にしてされている。
そして鑑真和上の墓所である開山御廟があるので、お参りすることができる。
唐招提寺の基本情報
拝観料:1,000円
所要時間:45分~1時間
メインの金堂・講堂だけ観るなら30分で十分だし、境内を歩くのも30分で参拝できるが、拝観料は安くはないのでゆっくりお参りしたい。
宝物館を観たり鑑真のお墓にお参りするなら1時間はみた方がいい。
ゆっくり参拝するなら2時間を目安にするのがいい。
唐招提寺は奈良時代の天平宝字3年759年に、鑑真和上が戒律の道場として開いた寺院。
日本に正式な授戒制度をもたらすために来日した鑑真が、東大寺で戒律を授けた後、唐招提寺を造り晩年を過ごした場所。
鑑真は5度の航海に失敗し、盲目になりながらも来日したが、鑑真が日本にもたらしたのは戒律だけでなく、天台宗や薬学、芸術などがあり、鑑真の来日は日本の宗教・文化に大きな影響を与えた。
そうした鑑真の功績にふれられる寺院。
唐招提寺へのアクセスと周辺の名所
近鉄橿原線の西ノ京駅から徒歩約10分。
西ノ京駅の近くには薬師寺(世界遺産)があるので、薬師寺に参拝してから唐招提寺に向かうのがお勧め。
薬師寺は南門から入り與楽門から出るのがお勧めなので、薬師寺→唐招提寺の順で参拝する方がいい。
周辺の名所は平城宮跡歴史公園がある。
唐招提寺から徒歩30分。
歩く時間が長いが、秋篠川(あきしのがわ)沿いを歩けば、歴史散策を楽しめる。
秋篠川はかつて平城京を造る際に、資材を運ぶため人工的に造られた堀川。
この道ならかつて都があった雰囲気を感じられるし、平城宮跡歴史公園は無料で楽しめるので行く価値はある。
簡単な唐招提寺の創建の由緒や時代背景
唐招提寺は奈良時代の天平宝字3年759年に、鑑真が戒律の道場として開いた寺院。
当時の僧は一種の国家公務員で、なるには厳しい基準があったが、勝手に出家したり悪さをしたりする僧が増え、正式に戒を受けないと僧になれない制度を早急に整備する必要性が高まった。
また後述するが(戒壇院で)、当時の日本は受戒制度が整っておらず、唐から正式な僧として扱われなかった。
この状況を嘆いた元興寺の高僧が日本で正式な授戒制度をつくることを訴え、その要望に興福寺が応え、2名の留学僧(普照と栄叡)を唐に送り、相応しい人物を日本に招くことにした。
唐に渡った彼らは鑑真と出会い、鑑真が来日を承諾するが、その実現までの道のりは長く険しいもので、鑑真一行は5度の航海を失敗し、6度目にようやく日本に辿り着いた。
渡航を決めてから12年が経ち鑑真は失明していた。
日本に来た鑑真は東大寺で戒律を授け、日本の戒律制度に大きく貢献し、東大寺で5年過ごした後に唐招提寺を造り、晩年を過ごした。
戒律と律宗
鑑真がもらたした戒律とは何だったのか。
戒律とは仏教の信者全般が自発的に守ろうとする戒めの戒と、僧侶の集団や教団の中の規則の律のことをいう。
律は守らない時は罰則を伴うもので戒と律は別のもので、律宗は律に重きを置く教えだった。
※『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』より
律宗は仏教の戒律の理論研究と実践を重視するのを特徴とする宗派だった。
学問に励むだけでなく、戒を受けた者は慈善活動をはじめとする社会事業を行い、それにより他者を救う実践を伴う宗派で、また貴賤の分け隔てなくすべての者に戒を授ける宗派だった。
唐招提寺の創建後、律宗は大いに栄えるが、12世紀に入ると衰退し、鑑真が亡くなって350年が経った頃には唐招提寺も荒廃し
やがて律宗の授戒も見られなくなる。
明治時代初期は政府により、唐招提寺を除く律宗が真言宗に組み込まれ、明治33年1900年に唐招提寺は律宗の総本山となり、独立した。
奈良時代は東大寺と唐招提寺の他に、下野薬師寺跡(栃木県)
と観世音寺(筑紫の大宰府)で戒壇が築かれ、戒が授けられた。
これにより僧になるためにはいずれかの戒壇で戒を受けることが必須となった。
YouTube
動画でも唐招提寺を紹介しています。
詳しく解説しているので是非ご覧ください。
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