世界遺産薬師寺の魅力①基本情報と簡単な見どころのまとめ

奈良県
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簡単な薬師寺の見どころ

世界遺産の古都奈良の文化財に登録されている薬師寺は見どころが多い。
参拝するたびに新たな発見があり、好奇心が満たされる寺院だと思う。
今回はそんな薬師寺の魅力を紹介したいが、少なくとも薬師寺に次の三つの見どころがある。

一つは白鳳時代を代表する仏像美・建築美にふれることができること。
一つは、創建当初から残る東塔と戦後に再建された西塔がならびら、それらを比べることで奈良時代の建築技術や修理の仕方、寺院建築の保存のあり方を知ることができること。
一つは、戦後の酷い荒廃から写経勧進をはじめとする復興事業で見事再建したこと。

それらを中心に薬師寺を紹介したいと思う。

アクセス:西ノ京駅から薬師寺南門へ

薬師寺に参拝する際は南門から参拝するのがお勧め。
近鉄橿原線の西ノ京駅の案内板に従うと、駅から数分で着くが、與楽門から入ることになる。
薬師寺の魅力は東西二つの塔が並んでいるところだが、與楽門から入るとそれを見れない。

だから駅を出たら踏切を渡って5分ほど歩いて南門に向かうのがいい。

西ノ京という地名は、平城京の西部の右京を西ノ京と呼んでいたことに由来する。
西ノ京には薬師寺や唐招提寺、西大寺がある。

駅から唐招提寺までは駅から徒歩10分弱、平城宮跡は約40分で、一緒に参拝するのがいい。

創建の由緒と法相宗

薬師寺の創建は飛鳥時代の天武天皇9年680年、天武天皇が後に持統天皇となる皇后の病気の回復を祈願して藤原京に建てたのが始まりとされている。

藤原京から平城京へ遷都した際に、現在の場所に移転した。
移転と言っても近年の研究では建物は移さず、新しく造り直したという説が有力だ。

薬師寺は法相宗の大本山で、法相宗は現存する日本最古の仏教の宗派である。
奈良時代の南都六宗の中で一番栄えた宗派で、有名な興福寺も法相宗の寺院になる。
法隆寺も戦前までは法相宗だった。

法相宗は唯識を根本教義とする宗派といわれている。
唯識とは世の中にあるすべてのものは、見る人の心のありようの反映とする考え方で、法相宗は心のはたらきを深く考え、自分の認識をとぎ澄ませていくことで救いを見い出そうという教えである。
『週間古寺をゆく 薬師寺』より

南門・薬師寺式伽藍配置・中門

駅から5分ほど歩くと南門に着く。
南門は室町時代の永正9年1512年の建立とされている。
拝観料は1,000円。

南門からだと東西に並ぶ三重塔を見ることができる。
右の東塔は創建当初から残る三重塔で、左の西塔は戦後に再建された三重塔。
この二つの塔の違いからいろいろなことを知れるのが薬師寺の面白いところだ。

拝観料を納めて南門から入ると、東塔と西塔が並ぶ素晴らしい光景を目にすることができる。
回廊の中に東西二つの塔を配置したのは薬師寺が初めてで、このような伽藍の配置を薬師寺式伽藍配置という。

塔が二つあるのは、お釈迦様の生涯の重要な出来事を表した「釈迦八相」を表しているからだ。
法隆寺の夢殿は八角形の形でそれを表しているが、薬師寺では一つの塔に四つ、二つで八つの場面を塔の内部に彫ることで釈迦八相を表している。

中門にはカラフルな二天王像が立っている。
奈良時代に使われていたであろう色彩で復元したもので、当時の色合いを知ることができる。

礎石の上に柱がのり、柱に架かる屋根の重さを独特の形をした虹梁が支えている。

簡単な伽藍の説明

中門をくぐると正面に御本尊が祀られている金堂があり、その奥に講堂がある。
薬師寺は東塔と東院堂を除く他の建物は兵火により焼失してしまい、現在の建物は戦後に再建されたものとなる。

戦後まで薬師寺は境内の荒廃が酷かった。
明治時代の神仏分離と廃仏毀釈で大打撃を受け、経済的に困難になり、金堂の屋根は崩れ雨漏りがし、
晴れの日は御本尊に日が当たり、雨の日はご本尊に傘を差して法事を行ったという。

戦後に写経勧進をはじめとする復興事業をし、現在は多くの伽藍が再建され、南都七大寺の一つに数えらたかつての大寺院の姿が甦っている。

※南都七大寺:東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・西大寺・薬師寺・法隆寺

次の記事で、東塔と西塔・金堂・講堂などのそれぞれの建物の紹介をする。

YouTubeで詳しく紹介しています、是非

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