【本のレビュー】小林照幸『死の虫』北里柴三郎やベルツでさえも解明できなかった病気に命を懸けて挑んだ医師たちの物語

病気・医学の本
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日本の米どころ新潟・秋田・山形の3県の河川の流域には、かつてツツガムシ病という恐ろしい病気があった。
毎年夏になると河川の近くに住む村人たちが原因不明の病気にかかり、高熱が出て相次いで死んでしまうものだ。
明治時代の新潟のある村では、ひと夏で30もの棺桶が並ぶことがあった。

西洋の近代医学が日本にもたらされた明治時代から、新潟では県をあげてこの病気に取り組むが、その治療に至るまでの道のりは長く険しいものであった。
ドイツから招聘されたベルツがその解明にあたり、ドイツから帰国した北里柴三郎が新潟で現地調査を行うが原因解明には至らず、治療を願う住民は大きく落胆する。

第一線で活躍する医療関係者がその後も研究に当たるが、ダニが原因だということしか明治期には分からない。
大正になると山形でも現地調査が始まり様々な試みが行われるが、進展していくのは昭和に入ってからとなる。
その間、研究者の中からもツツガムシ病感染による殉職者が出る。

本を読むと、病気を解明してそれを治すことの大変さがよく分かる。
病気を治すために病原体の正体を究明し治療薬を作るだけでなく、病気に罹らないように感染経路や中間宿主の生態を調べる必要もある。
機材・設備が十分でなかった時代、それに取り組むことがいかに大変なことだったか容易に理解できる。
現代のようにリアルタイムで新しい論文を見ることもできず情報も不足している。

また、病原体が治療されるようになったのは最近のことなのだと、改めて教えてくれる。
電子顕微鏡が世界で初めて開発されたのは1931年(昭和6年)のことで、戦争を挟んで国内での研究は中断し、抗生物質による治療が確立するのは戦後になってからである。

そんなことを気づかせてくれる本であるが、明治から昭和までの時代性についても研究者の軌跡から少なからず知ることができる。
列車で機材を運び、研究にニホンザルを使い、感染しないために真夏の炎天下に完全防備で現地調査をし、そして研究費を工面する。
住民は死体解剖に強く反対し、治療薬の副作用が出れば反感を露わにし、昭和に入ってからも神社を建てて祈祷する。
現代とは違った思想・文化や風習を知れるという面でも、読んで勉強になる。

そして、農作業で命を落とすといういうことが、かつての日本にはあったということをも教えてくれる。
現在では農業で命を落とすなどということは考えらえないが、そうした危険な地域が日本にはあった。
これは地方病片山病と恐れられた日本住血吸虫症にも当てはまることだが、米を作ることは命がけでもあった。
そして、生きるために危険な地域に留まり、暮らさねばならなかった人々がいた。
そうした歴史も知ることができる。

小林照幸『死の虫 – ツツガムシ病との闘い』中央公論新社 (2016年)

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【小話】水田に入ると発症し死に至る恐ろしい病気 日本住血吸虫症 | 四季を気ままに旅をする (shikikimama.com)

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