この記事は2012年の時のものです(現在ブログの引越中です)。
新しい記事を投稿次第、当時の投稿日(2012.07.31)に移動します。
思い出の場所へ帰りたくなる。
誰しも一度や二度、そんな時があるだろう。
僕にとって、その場所の一つが、長野県の野尻湖だった。
子供の頃の記憶が残る場所。
そこへ無性に行きたくなり、2012年の夏、旅行で出かけた。
東京駅から黒姫駅へ

東京から新幹線で長野駅へ向かう。
乗車時間は1時間40分。
それから、しなの鉄道で黒姫駅に向かう。
乗車時間は約35分。
乗り換えの待ち時間があり、何だかんだで、東京から約3時間かかる。

長野駅からしなの鉄道で黒姫駅に向かう途中の車窓

黒姫駅

そして、黒姫駅かタクシーでホテルに。
約15分。
トータルで3時間半かかった。
ホテル エルボスコ

泊まったのは、エルボスコ。
「読書するためのホテル」がコンセプトのホテル。
近代建築の巨匠である清家清氏が手掛けた、自然との共生をテーマとしているホテル。
いいホテルだが、駅からの送迎がなかったのが、残念。
そして、2019年に閉館している。
部屋

夕方近くにチェックインしたから、この日は外に出ずホテルでゆっくり過ごす。

フリースペース

ベランダからは、木々で全体は見渡せまないが、野尻湖が見える。
この時は曇りで見えなかったが、野尻湖は、夜は星が良く見える場所。


食事

2泊したが、写真が無くなってしまった。
なので、1日分しかない。

カニは、確かワタリガニだったかと。

データが消えてしまったが、生野菜の盛り合わせがあった。
地元で採れる、旬の野菜の盛り合わせ。

それにしても、写真がブレブレ…


朝の散歩




ホテルの敷地には、ちょっとした散歩道があった。



避暑地だけあり、夏でも朝は涼しい。

湖畔は波の音が聞こえ、海とは違った良さがある。





野尻湖散策
翌日は、野尻湖を散策。
朝食を食べた後に、タクシーで黒姫駅に行き、レンタルサイクルのお店で自転車を借りる。
借りた自転車は、タイヤに空気がちゃんと入らず、油も注しておらず、快適に進まない。
普段あまり借りる人がいないのだろう。
仕方ない。
彼女は、電動自転車を借りたが、途中でバッテリーが切れた。
避暑地と言っても昼は暑い。
サイクリングは、いい選択ではなかった。
彼女には、申し訳ないことをした。
が、思い出の場所を、のんびりと自転車で走れ、幸せな気分だった。
この頃は、ロードバイクを始めた頃で、どんな自転車でも、乗っているのが楽しい時でもあった。
サイクリングコースは一周15.3kmのコース。
これを反時計回りに進む。
寄り道しながらだと2時間くらいで回れる。
ナウマン象博物館

野尻湖は、ナウマン象の骨が発見された場所で有名。
小学生の教科書に載っている。


ChatGPTにまとめてもらった

野尻湖が教科書に載るほど知られているのは、ナウマンゾウの化石と同じ場所・同じ時代の地層から、人間が使った石器や骨器、木製の槍などが見つかったから。
日本の旧石器時代の遺跡では、石器だけが見つかる場合が多く、人間の道具、動物の骨、植物化石が一緒に残る場所は珍しい、のだそうだ。
つまり野尻湖は、約4万年前、人間とナウマンゾウが同じ場所にいたことが具体的に分かる、考古学的に重要な場所なのだ。


野尻湖の歴史

ついでに、野尻湖についても説明。
野尻湖は、長野県の北部に位置する、新潟県との県境に近い土地。
夏は避暑地としても知られている。
大正時代、外国人宣教師が、避暑地として開拓した歴史がある。

当時、軽井沢が避暑地として有名になり、人が集まり過ぎた。
そこで、軽井沢とは違う、静かで自然を楽しめる場所として、外国人によって開拓された場所、といわれている。
外国人宣教師からは「山の軽井沢、湖の野尻湖、海の高山(宮城県)」と称され、「日本三大外国人避暑地」の一つとされた。

歴史、戦国時代、が好きな人は、野尻湖は、宇佐美定満が溺死した場所として、知られている。
上杉謙信の軍師だった宇佐美定満が、謙信の重臣だった長尾政景を舟遊びに誘い、政景と共に、この湖で溺死した。
これは、謙信の地位を確固たるものにするために、家臣の中でも有力だった政景を、宇佐美が殺した、といわれている。
引き揚げられた政景の死体には、刀傷があったという。
確実な史料からは、その事実は確認されていないが、そんな逸話が残されている。

像の小道


草むらに道があるだけの場所。
中学生の頃、肝試しでここを歩かされた。
ペンライト1本持って。
数年経ってから、熊が出ることもある、というのを知った。

野尻湖の湖畔には、キリスト教関連の合宿所が点在している。
宣教師により、避暑地として開拓された野尻湖。
プロテスタントの宣教師らが、軽井沢から野尻湖畔に移り、外人部落ができた。

その歴史があり、現在、青山学院、東洋英和女学校、YMCA、YWCAの施設が湖畔にある。
青山学院・東洋英和女学院は、プロテスタント系のミッションスクール。
YMCA・YWCAは、プロテスタント系の社会教育・奉仕団体。

サレジオ学院、こちらはカトリック系。


折り返し地点くらいあたり

桟橋

こういう桟橋から、小学生の頃、湖に飛び込んで遊んだ。
思いっきり走って。
市民プールでは禁止されていた、飛び込みも潜水ができ、楽しくて仕方がなかった。
そして、朝や夕方になると、桟橋に座り、しばらく過ごす。
皆、話を慎み、静かな時間を過ごす。

野尻湖には縁があって、高校生まで、毎年来ていた。
中学高校の頃は自分が楽しむためではなく、行事の一環として来ていたから、楽しい思い出は少ない。
でも、それも含めて、多感な時期を過ごした場所に来ると、感慨深いものがある。

こんな話を聞いたことがある。
戦時中は、宣教師がこの地に疎開した。
東京では肩身が狭かったそうで。
食べるものには苦労したようだ。
木に登り、大きな石を湖に落とし、その衝撃で魚を気絶させて、捕まえた。
そうして飢えを凌いだという。

水田


この辺りのこういう道も、肝試しで歩かされた気がする。



坂を上ると、野尻湖を見渡せる場所に

エルボスコ


終点

ここで、ピザを食べたが、これも写真を失くした。
驚いたことに、お店で、当時お世話になった人に会った。
後ろから、どこかで聞いたことのある話し方だな、と思って振り返ったら、その人がいた。
こんなことが、本当にあるもんだ。
遊覧船乗り場

この辺りにはお土産屋が数軒並び、毎年立ち寄っていた。
野尻湖のお土産といえば、野沢菜。
そう教わったが、後述するように、野沢菜はそうでもなかったと、あとで知った。
野尻湖は、バスフィッシングが人気の場所でもあった。
バー

2日目の夜は、夕食後にホテルのバーに行ってみた。


スタッフの方にオススメを聞いてみると、松本ブラッククイーンをお勧めされた。
フルボディのワイン。

普段、ワインは飲まないが、せっかくの機会なので飲んでみると、美味い。
甘みと果汁感のある、飲み応えのある赤ワインだった。
市販でも千円くらいで買え、都内のスーパーでもそこそこ流通しのが良かった。
旅行が終わってからも、何度か、思い出しては飲んだが、そういうのも旅の良さだと思う。


3日目の朝

東京に戻る。














どこかで駅弁を買った

信州名物を入れた幕の内弁当

信州サーモンの味噌漬け焼き、信州しめじと牛肉のしぐれ煮、信州エリンギフライなどが入っている。

信濃町の特産品
思い出の場所、野尻湖。
ブログを書くにあたって調べてみると、いろいろな発見があった。
その歴史が面白いので、備忘録としてメモしておくことにする。
野尻湖の特産品は、野沢菜だと思っていたが、
とうもろこし、トマト、ブルーベリー、ルバーブ、ぼたごしょう、甘茶、そば、米、
の方が知られている。
信濃町は元々、作物を育てるのによい環境。
信濃町は山々から湧き出る水が豊富にあり、火山灰土の有機質に富んだ土壌があり、そして、昼夜の寒暖差がある。
特に高原では、霧がかかることが多く、この霧によって、美味しい、とうもろこしや蕎麦が育つ。
昼夜の寒暖差があると、とうもろこしは糖度が上げるのだそうだ。
(とうもろこしについては、後述)
霧下蕎麦
上記の条件に加えて、信濃町は日当たりも良いので、いい蕎麦が獲れる。
高原で霧に覆われながら栽培される蕎麦は、「霧下そば」と呼ばれ、香りが高いと評判。
善光寺に行った時に、大善というお店で、霧下そばを食べたが、確かに美味しかった。
凍りそば、という保存食もある。
信濃町は、信州でも有数の豪雪地帯であり、冬は凍るような寒さになる。
江戸時代に、地粉100%の手打ちそばを茹でたあと、厳寒期の夜間に、戸外で凍らせて、自然乾燥させたものを作るようになった。
この地元信濃町に古くから伝わる伝統製法は、現在でも受け継がれているらしい。
凍りそばに、熱々のだし汁をかけて少し待つと、そのまま食べることができる、というもので、カップラーメンの走りともいえる、昔のインスタント食品である。
各家では、作っておいた凍り蕎麦を大事に保存しておいて、来客があった時などに振舞ったらしい。
そば粉100%で作られているため、蕎麦本来の風味を十分に楽しめ、お吸い物の種にしたり、油でカラッと揚げて酒のつまみにするのがいいらしい。
凍りそばは、野尻湖の近くの農産加工直売所で買えるようだ(ネットでも注文できるらしい)。
信州黒姫高原ファミリーファームぶんぶく亭
http://bunbukutei.blogspot.com/
米
信濃町ではお米の栽培もしている。
信濃町は長野県北信地域でも有数の水田単作地帯らしく、主にあきたこまちとコシヒカリが作られている。
長野県は山国ゆえの気候のため、病害虫の発生が少なく、全国的に見ても農薬の使用基準が少ない地域らしい。
それを活かして取り組まれているのが、特別栽培米。
化学肥料と農薬を、通常の栽培より50%以上減らして栽培するお米だ。
近年では、酒米の栽培も始まっているらしい。高橋助作酒造店では、信濃町で栽培した酒米を使った日本酒を造っている。
美山錦や山恵錦が栽培されているらしい。
野菜
そして野菜では、トマト、ナス、ピーマンも美味しいと評判。
道の駅しなのの直売所で売られ、トマトは、信濃町のブランド品にまでなっていて、野尻湖畔の菅川地区のトマトは、評判がいい。
水はけの良さと、農薬をあまり使わずにすむ、気候が、トマトを美味しくしているのだとか。
ぼたごしょう

野菜の中でも、ぼたごしょうは、信濃町特有のものらしい。
信州の伝統野菜として認定されている。
唐辛子の一種で、実が肉厚で柔らかく、辛味がやや少ない。
形状はベル型で、四角形のものが一般的で、ピーマンや青唐辛子などと比べても、見分けがつく形をしている。
普通のトウガラシは比較的温暖な気候を好むが、ぼたごしょうは冷涼な気候を好み、標高の低いところでは味や形が変わってしまい、上手く栽培できないといわれている。
種のついている芯の部分は、辛みが強いが、そこを外せば生でも食べられ、甘みがある。
加熱することで果肉が更に柔らかくなり、焼いたり、味噌漬、煮物、天ぷらや鉄砲漬等々、様々な料理に利用されている。
このぼたごしょうは、信濃町の伝統食「やたら」には欠かせない食材。
ぼたごしょうときゅうり、ナス、みょうが等を細かく刻んでふりかけのようにして食べる「やたら」は、寒冷で貧しい生活のなかから、ビタミン補給のために考えられた食べ物。
ぼたごしょうとかつお節や味噌を合わせて食べる「こしょうみそ」も食されているらしい。
甘茶
甘茶も信濃町の名産品。
お釈迦様の誕生日(4月8日)を祝う、花祭りの時に飲まれるお茶、甘茶。
信濃町は、全国でも有数の甘茶の産地らしい。
江戸時代、旅のお坊さんがお寺の境内に植えたのが始まりとされている。
畑の境界や、畦が崩れるのを防ぐために植えられてきた歴史がある。
名前の通り、強い甘味があるため、戦時中の甘味料不足の時は大変重宝されたようだ。
甘茶は、虫除けとしても使われてきた。
甘茶を墨に混ぜて白紙に書き、柱や虫の出入りする場所に貼ると、虫がよらないのだそうだ。
また、船乗りが、甘茶で煮出した液を積み荷の周りに塗り、虫除けにした歴史もあるらしい。
それに、天然の防腐剤や甘味料として、醤油にも使われることもある。
黒姫物産センターでは、うどんに甘茶を練りこんだ「甘茶うどん」という珍しいものを提供している。
ブルーベリー
果物ではブルーベリーが特産品として知られている。
信濃町には全国で初めてブルーベリーを本格的に栽培し、産地化したという歴史がある。
ブルーベリーには比較的冷涼な気候を好むハイブッシュ・ブルーベリーと、暖地に対応するラビットアイ・ブルーベリーがあるが、信濃町は前者のハイブッシュ・ブルーベリーの一大産地である。
1951年に、当時の農林水産省北海道農業試験場に米国からハイブッシュ・ブルーベリーが導入されたのが、きっかけなのだそうだ。
ブルーベリーの栽培は東京の小平市で初めて栽培が始まったといわれているが、小平市の方は温暖な気候で栽培されるラビットアイ系統のものらしい。
ラビットアイ・ブルーベリーが1962年に農林水産省によって導入され小平市で栽培され、知名度が上がっていく一方で、1971年にハイブッシュ・ブルーベリーが長野県で導入されたということらしい。
今では長野の全県でブルーベリーの栽培が行われていて、信濃町はその一大産地となっている。
ブルーベリーは、鮮度を保つのが非常に難しくスーパーなどで販売されているものは全て早取りのものとなる。
実が赤い時に収穫し酸味が強く甘みが少ないのが一般的だが、完熟のブルーベリーは酸味が弱く甘みが強く、道の駅やブルーベリー狩りで食べる現地の熟したブルーベリーは格別の味、とされる。
ルバーブ

ルバーブは、フキに似たタデ科の野菜。
緑のものと赤いものがあり、茎の部分が食用とされる。
熱を加えるとドロドロと溶けるため、料理には使えず、ジャムやジュースに加工される。
そのままだと酸味が強いらしい。
ルバーブは、宣教師によってもたらされた。
カナダ人宣教師のアルフレッド・ストーンが、昭和初期に、カナダから持ち込んだのが、始まりとされている。
信濃町の一部の農家に依頼して、作ってもらったらしい。
肉食中心の欧米人にとって、ルバーブは、繊維質が豊富で、ビタミンCやカリウム、カルシウムが多く含まれていることから、食卓の必需品とされていた。
ルバーブの栽培は難しくなく、年2回の堆肥と肥料を与える程度で育ち、虫もつかないため農薬も使わずに済むのだそうだ。
酸味が強いため、鳥や小動物も茎をかじることがない。
アルフレッド・ストーンが、農家を栽培指導し、信濃町がルバーブの産地をなった。
現在は、メディアで美容と健康にいい、と取り上げられて以来、徐々に知名度が上がり、信濃町の特産品として知られるようになっている。
とうもろこし

最後になったが、信濃町の特産品の中でも特に知られいるのが、とうもろこしと。
信濃町では「もろこし街道」が有名。
7月下旬~8月下旬になると、黒姫から戸隠へ通じる県道36号線沿いのあちこちに、農家の直売店が並び、獲れたてのとうもろこしが売れらる。
県外からも多くの観光客が来る人気のスポットで、週末になると直売店の前には行列ができるほどの賑わいを見せるようだ。
これもルバーブと同様に、アルフレッド・ストーンがカナダから持ち込んだ品種を、信濃町で栽培したのが、始まりとされている。

黒姫もちもろこし
信濃町の特産品を調べていて、気になったのが、黒姫もちもろこし。
身が黒く光沢のあるとうもろこしで、見た目に合わず、もちもろとした食感なのだそう。
採れたてをすぐに食べないと、甘みが無くなってしまうため、地元にしか出回らないのだ。
現地でしか食べられない食材ほど、魅力的なものはない。
次回、行く機会があれば、是非とも食べてみたい一品である。
作物を育てるのによい環境だった信濃町。
そこに、外国人宣教師が、それまでなかった作物を栽培し、その一部が、現在、信濃町特有の名産品になっている。
信濃町の歴史には、宣教師の存在が欠かせない。
それが知れる特産品を味わってみるのも、信濃町を訪れた際には、いいのかもしれない。

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